杉山神社という神社をご存じですか? 横浜市立中央図書館の3階には、横浜市資料がそろっています。 横浜の鎮守だった神社を移してしまうなんて!!!とかなりおどろきましたが、そこは時代がら事情というものもあったのでしょう。 横浜港一帯の総鎮守として、明治政府は現在の伊勢山に伊勢神宮より神様を勧請したそうです。それが伊勢山皇大神宮です。
話がちょいとそれてしまいましたが、ここからが「杉山」に関わる話です。
改めて横浜市の地図を丹念に見ていくと、次から次に"杉山神社"が現れてくるのです 図書館で分かったのは、杉山神社とはそのほとんどが横浜の鶴見川流域等を中心に、一番外れは町田市まで 点々と奉られている"土地の神社"であり、その多くは五十猛命、もしくは日本武尊を祀神としていることでした。
横浜にしかみられない神社。横浜でよく見かける名字"杉山"。
調べていくうちに、杉山神社にもいくつかの系統があるように思えてきました。
しかし、関東大震災や戦争の為もあって、昔の詳しい資料はほとんどありません。
調べていく間に、"横浜の地に長く住んでいる人ですら知らない神社"となっている杉山神社を
なんだか復活させたいような気持ちになってきました。
たかが一個人の興味でできること、たいしたものではありませんが、現存している杉山神社、杉山社を
訪ね歩き、一覧をつくり始めました。まだ不完全ですが、出きる限り増やしていこうと考えています。
もし、杉山神社について詳しいことをご存じの方、ここにはない杉山神社を知っていらっしゃる方、横浜近辺だけではなく、どこか別の土地の杉山神社を
ご存じの方、などなどいらっしゃいましたら、是非情報をメールでおよせください。
おそらく、八幡神社や氷川神社、稲荷神社等は知っていても、 杉山神社なんて聞いたこともない…という方が多いのではないかと思います。 私も横浜に来るまではまるで知りませんでした。
縁あって、私は1993年に横浜の山下町に住むようになりました。引っ越して落ち着いて来た頃に、町の鎮守さまにお参りしようと町内の神社を探しました。
ところが、町内には一つの神社もなく、小さな祠すらないのです。
私にとって神社が一つもない町というのは、とても不思議で、違和感がありました。
日本で一番早くに西洋化した町だからなのかとも思ったのですが、納得がいかず、ついに横浜の地図を買ってきて調べることにしました。
最初は自分の家の周辺、関内と呼ばれるあたりを調べました。神社マークは皆無でした。
山下町から、本町5丁目にかけて、関内駅の北側、海側には一つも神社はありません。
桜木町につながるバス通りの橋が弁天橋という名前ですから、そのあたりに神社があってもよさそうなのですが、あるのはビルばかり。
歴史の話では、昔から横浜は人々が住み着いていたところで、そういうところに鎮守様がひとつも奉られてないのはおかしいとしか思えません。
それで昔の地図を見てみることにしました。
そこでいくつか昔の絵地図をみていたところ、あったあった。
やはり弁財天を奉るお社があったのです。
その後、神奈川県立歴史資料館や横浜開港資料館などにも行って調べてみましたら、
その昔、まだ現在の関内の駅のあたりが海の下だった頃、横浜というのはその名の通りの横に長細く、海に突き出た岬の浜だったのです。 そして、その浜の突端に"杉山弁財天"という神社があり、地元の人々の崇敬を集めていたのだそうです。
しかし、明治の開港に伴って、杉山弁財天は現在の中区羽衣町に移され厳島神社"横浜弁財天"となり、御神体は、奥宮だった現在の元町の厳島神社に奉られることになったそうです。
もとの弁財天の土地は、外国の領事館の土地となり、面影はまるでなくなってしまいました。
"杉山弁財天"の杉山という二文字が気になりました。というのも、横浜に移り住んでから市内のあちこちで、"杉山工務店"というように"杉山○○"というお店や、杉山姓の個人宅を数多くみかけていたのです。
そういえば、最初に横浜市の神社を地図で調べていたときに、「杉山神社」という名称を何度か目にしていました。
そして、くだんの"杉山"弁財天という神社の名前です。
これはなにかある…と勝手に頭が考え始めていました。
。
多いところでは、区分地図の1ページに5〜6件載っています。
好奇心をそそられ、また図書館へと向かいました。